樽前山で起きた航空事故 2

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2.霧をおして“神風”飛行場へ

気象

事故が起きたのは、1945年(昭和20年) 714日でした。まず、その日の天候から調べてみます。

空母は「飛行場」ですから詳細な気象観測が行われており、その記録が残されていました。空母シャングリラの作戦報告書(ACTION REPORT, U.S.S. Shangri-La (CV-38)、1945.7.2~8.15)によれば、事故が発生した7月14日の気象は次のとおりでした。

)ACTION REPORT, U.S.S. Shangri-Laより(部分)

  • 低い雲でBroken(5/8~7/8)からOvercast(8/8)、14時以降は回復に向かう、05時~10時は断続的に弱い雨と霧
  • 雲底高度5,000フィートからunlimited、高度400~2,000フィートに薄い霧、雨と霧
  • 視程10~20海里、1~6海里は雨と霧
  • 地表の風向は北~西、風速6~14ノット(3~7m/s)
  • 高度5,000フィート(1,500m)の風向は北風、風速14~22ノット(7~11m/s)
  • 最高気温61°F(16℃)、最低気温51°F(11℃)
  • 波高2~4フィート(0.6~1.2メートル)

ラスムッセンの本「CC in WW2」でも、7月14日は、当初の北海道攻撃の予定日で悪天候のため出撃が延期された7月13日(金)より、さらに悪い気象だったことが記されています。霧雨から霧に変わって艦橋さえ見えず、飛行甲板の作業員の影がかすんで見え隠れする状況を記しています。戦時中とはいえ、そんな気象状況でも出撃命令が下ったことに驚きますが、空母シャングリラの作戦報告書にはこのような記述がありました。

「計器飛行: 全ての戦闘パイロットは、自身の航空機型式の計器飛行証明を有しなければならない。攻撃部隊は霧や雲、前線をも通過しつつ上昇、降下する必要がある。ときには部隊から離れてしまう場合もあり、自身の計器飛行能力を信頼しなければならない。幸いこの部隊はそのような厳しい訓練を受けてきており、気象が原因で失われた機はなかった。」

1945 Pacific typhoon season、Wikipediaより

また、1945年の7月14日~22日には、フィリピンの東海上で発生した台風「オパール」(強度986hPa)が北上し、九州南部に上陸した記録が見つかりました。でも、事故のあった7月14日は台風が発生したばかりなので、北海道付近の航空機の飛行に直接の影響はなかっただろうと私は思っていました。

ところが、空母シャングリラを含むTF-38(Task Force 38)の作戦報告書にこの台風の影響が記されていました。1945年7月13日に北海道及び本州北部の攻撃が計画されていたが、非常に強い台風が作戦範囲内での行動を阻み、海水温の変化や霧の発生を考慮して、翌14日と15日の出撃地点を選定した、というものです。

空母の位置

7月14日の空母シャングリラの位置は、作戦報告書に記載された航跡図から判断すると、八戸の東で襟裳岬の南、どちらにも約80海里(約150km)の位置にあり、千歳飛行場まで約160海里(約290km)に接近していました。ヘルダイバーの巡航速度で1時間ちょっとの位置です。空母は移動するため、当該機を含む第3波攻撃に発鑑した時刻ごろで推定しました。事故現場の樽前山までは直線距離で約150海里(約280km)です。

)空母シャングリラの航跡図。ACTION REPORT, U.S.S. Shangri-Laの図に加筆

攻撃目標

その日、米軍の攻撃目標はどこだったのでしょう。「本州北部と北海道」という記述はいろいろな資料に出てきますが、もう少し具体的な目標があったはずです。

「シャングリラは北海道の沿岸から南東150マイルの位置についた。地図には1か所、黒い丸が付いていた。千歳“神風”の街は、苫小牧の港から数マイル上った北海道の丘にある。」

「天候の状況で“神風”の飛行場が見つからないときは、歩くもの、這うもの、泳ぐもの、フェリーボートやオートバイでさえ、機会があれば何でも狙えと言われていた。」

いずれも「CC in WW2」の本に記載されたラスムッセンの回想(やぶ悟空訳)です。これらの記述から、攻撃目標は「神風」の「千歳飛行場」だったことが分かります。でも、このころ千歳飛行場に神風特攻隊がいたのでしょうか?

北海道空襲の4か月前、3月10日には東京大空襲がありました。その後、5月初旬に霞ヶ浦海軍航空隊が千歳基地に移動し、6月下旬には千歳海軍航空基地に55人の特攻隊員が移ってきた(増補 千歳市史、S58.3.20発行)そうです。また、6月26日には北海道で初めて空襲警報が発令された記録(千歳警察署「沿革史」より)があるそうです。

シャングリラのログブックによれば、「1945年7月14日、処女地である本州北部及び北海道に初めての攻撃を実施。天候は寒く視界不良」とありました。また、シャングリラの作戦報告書によれば、7月14日は下記のように計5回の出撃があったことが3ページにわたって記載されています。

  • 03:30出撃、コルセア及びヘルキャット計12機、A-1地区の掃討および護衛。
    1次目標は飛行場と室蘭の船舶の偵察・一掃だったが、悪天候のため飛行場は見えず、函館の船舶攻撃を実施。(以下略)
  • 04:45出撃、コルセア12機、B-1地区の掃討。
    悪天候により1次目標が見えないため、室蘭の船舶攻撃を実施。(略)長万部付近の2列車に機銃掃射し炎上。
  • 07:00出撃、コルセア10機およびヘルダイバー10機、C-1地区の攻撃。
    白老付近で2隻の小型船舶に爆弾及び機銃掃射で損傷。機関車3両と貨車を破壊し、爆弾により機関車1両と線路100メートルに損傷。わずかな雲の切れ間しかない悪天候のため、協調した攻撃は不可能。ヘルダイバー1機がパイロットと搭乗員とともに失われた。

(注)14日のSB2Cヘルダイバーの出撃記録は、この時刻だけです。空母シャングリラを発艦したSB2Cのうち1機が攻撃中に墜落したというものです。

  • 10:45出撃、コルセア及びヘルキャット計8機、
    (略)
  • 13:00出撃、コルセア12機、
    (略)

この日の作戦のまとめとして、「戦闘中に、アベンジャー(TBM)、ヘルキャット(F6F)、コルセア(F4U, FG)各1機、および操縦士と搭乗員各1名が失われ、他に運用上コルセア2機が失われた」と記載されています。失われた操縦士と搭乗員は、イーグルストン大尉およびラスムッセンのことかもしれませんが、彼らが搭乗していたヘルダイバー(SB2C)1機が漏れています。また、失われた他の機の操縦士らは無事救出されたのでしょうか。

別のページに「操縦士及び搭乗員の損害」という一覧がありました。

)ACTION REPORT, U.S.S. Shangri-Laより

7月14日朝7時の出撃に参加したSB2C-4E(ヘルダイバー)は、「苫小牧で列車への機銃掃射の後、雲の切れ間へ機を上昇させた。その後、目にしていない。」と記載されています。その機の搭乗員は「イーグルストン中尉」と「ラスムッセン」でした。

)ACTION REPORT, U.S.S. Shangri-Laより

※ CC in WW2 : Chippewa Chief in World War II

「2.霧をおして“神風”飛行場へ」ここまで。

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