樽前山で起きた航空事故 4

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4.事故現場の状況

墜落した事故現場の様子も、やはり「CC in WW2」の本に詳しいので、現場の状況を把握するために有用な部分を拾い上げ、やぶ悟空が翻訳してみました。

※ CC in WW2 : Chippewa Chief in World War II

ラスの回想

— 翻訳ここから —

最初、私が何処にいるのか分からなかったが、(略)墜落した機体のそばだった。(略)私はまだシートベルトで座席に固定されていたが飛行機からは外れており、ちぎれ残った翼の下の、胴体の傍らに座っていた。全てがくるぶしの深さまである火山灰にまみれていた。進まなければ…。飛行機の前方部分はすべてなくなっていた。もやの中の遠くに、外れたエンジンが見えた。50~100フィート(15~30メートル)ほど離れており、私と同じ高さか、やや低いところだ。エンジンが燃えていたので見えたのだ。シートベルトを外したが両手に力が入らず、指は動くがしっかりとつかめなかった。(略)

私はイーグルストンを捜した。名前を叫ぼうとしたが、高いささやくような声しか出なかった。ゴボゴボのどを鳴らし、ゼーゼーという息の音が聞こえたのでイーグルストンが機体の下にいると思い、気分が悪くなった。助けなければ。私は飛行機の辺りをはい回った。ゆっくりしか動けなかったが、彼はどこにも見当たらなかった。そう、ゴボゴボという音は、ハイドロ油が漏れていた音だった。(略)やっとパラシュートを外して立ち上がった。(略)

どれくらい長く意識を失っていたのか、まったく分からなかった。私は左主翼の下にいた。飛行機の無傷で残ったいちばん大きなかたまりの隣だ。後席の機銃をセットするときはいつもプラスチック製キャノピー(風防)を開けてあった。機銃は飛行機から投げ出されて私のすぐ隣りに落ち、ちぎれ残った左主翼を破って突き出ていた。両主翼の大部分は引きちぎれていた。操縦席装甲板の後ろの位置から前がなくなっていた。尾部は、後部座席があった部分で大きく裂け落ちていた。(略)

墜落したとき、爆弾倉に500ポンド爆弾が2つあったが、作動するようにはしておらず爆発しなかった。霧雨が降っていて、木の葉すらまったくない森林限界より高い場所にいた。飛行機から救急キットを取り出そうとしたが、絡まっていて動かせなかった。

シャングリラから離陸したのは朝の8時ごろだった。飛行時間はおよそ1時間か1時間15分なので、山に衝突したのは9時から10時の間だろう。まだ日の光があり、午後の遅い時刻かもしれない。

(注)シャングリラの作戦報告書では出撃時刻が7時となっていますが、コルセアとヘルダイバーの計20機が順次離陸するのに時間を要したものと思われます。(やぶ悟空)

前方に茂みがあったので、重い足取りで残骸から200ヤード(180メートル)ほど下っていくと、霧の中でエンジンがまだ燃えているのが見え、やっと低木が並ぶ小さな茂みに招き入れられた。(略)

飛行機に戻らなければ。食料も救急キットもそこにある。飛行機まではほんの200ヤード(180メートル)だが、登りだ。斜面は急で30°か40°あった。下りて来たときと同じ経路を登った。その道は、墜落直前に飛行機が側転した場所とほぼ同じところだった。山腹を横回転しながら飛ばされた飛行機の破片や部品があちこちに散乱していた。2つの500ポンド爆弾は、きちんと横に並んだ状態で火山灰の中にしっかり突き刺さっていた。たぶん最初の衝突のときに故障したに違いない。

そして、私はイーグルストンを見つけた。彼は、シートベルトで座席に固定されたまま死んでいた。その状況から、死を疑う余地はなかった。飛行機から相当上の方へ約200フィート(60メートル)も飛ばされ、山腹に半分埋もれていた。

彼は機体から放り出されてひっくり返り、少し後ろへ傾いた姿勢で山の左側に叩きつけられていた。高速で衝突して、頭がその場にあった岩にぶつかり、ひどい頭蓋骨損傷だった。彼の手は、まだ操縦桿を握った位置にあった。最後まで機体を引き起こそうとしていたのだ。彼は手で顔面を守ろうとさえせず、飛行機を飛ばし続けようとして死んだのだ。

私は残骸の場所まで下りた。機体は尾部を傾斜の下方に、腹部を着けて直立していた。少し不安定な状態であり、斜面を滑り落ちたように感じた。地面近くに胴体があり、左側から容易に後席に乗り込むことができた。

— 翻訳ここまで —

証言と証拠

墜落場所については、一部の地元住民が現場を訪れた際の証言が残っています。

北海道新聞、2015年(平成27年) 4月7日(火曜日)の記事から引用(資料協力:苫小牧市立中央図書館)(文中の氏名は伏せ、A氏などとしました。やぶ悟空)

— 道新引用ここから —

戦後70年、北海道と戦争 133 <第7章 戦禍>
樽前山、米兵潜伏68日(中)、身振り交え親愛表現

終戦直後の9月の初め、故・A氏が目撃した際には操縦士のハワード・イーグルトンの遺体も回収されていなかった。A氏は札幌の自宅で書き残した自分史で、「ミイラ化し天を仰ぐ形でにらみつける姿は今でも忘れることはできない」と回顧。47年夏に目撃したB氏(86)は、「見渡す限りに金属片が広がっていた。パラシュートを持ち帰り、マフラーにして得意になっていた」と思い返す。

— 道新引用ここまで —

「Aさんが描いた墜落機と、死んだ操縦士がつけていたという腕時計の絵」として、損傷した事故機を描いた絵が紙面に掲載されていました。それを見て、私が機体の損傷状況を次のようにまとめました。

  • 左 主 翼:  胴体との取付部から破断
  • 右 主 翼:  翼端部が破断
  • 胴体前部:  前方のエンジンマウント部付近から破断
  • 胴体尾部:  後席の後ろ側付近で破断、破断部に多数の機銃弾が散乱
  • 尾      翼:  垂直尾翼と水平安定板はほぼ原形をとどめた状態
  • 後席の旋回機銃が外れ、右主翼付け根付近に落下
  • 「機体 マリンブルー」の文字、および腕時計とピストルの絵

一部の疑問点は残りますが、おおむねラスムッセンの記憶と一致しているように思われます。また、同じく北海道新聞の翌8日の同じ特集記事「樽前山、米兵潜伏68日(下)、山腹にあった機体片」には、次の記載がありました。

— 道新引用ここから —

転機は05年10月。地元の山岳会員としても何度も入山し、墜落機を探していたC氏(67)が、山中で縦10センチ、横12センチほどの三角形の金属片を見つけた。「機体とは思わなかったけど、一応持って帰ったんだ」

分析の結果、金属片は当時の航空機によく使われていたジュラルミン製と判明。静岡県の自宅で航空博物館を開いてたD氏(82)が鑑定した結果、すぐに機体の一部である可能性が高いと判断された。

金属片の発見場所から、苫小牧郷土文化研究会はラスムッセンが乗った爆撃機の墜落場所を「標高700メートル付近の南東斜面」と特定。(以下略)

— 道新引用ここまで —

「樽前山の南東斜面で発見された、墜落機の一部とみられる金属片(中央)=C氏提供」として写真が掲載されていました。この事故から60年後の2005年秋に、事故機の残骸の一部が発見されていたんですね。機体のどこかの角にあたる部品のように見え、強度を考えた曲線と立体的な膨らみからも事故機のものと想像できそうです。樽前山のこんな高い場所に、人工的な金属片を落とすものは他にないでしょうから。

そして、他にもこの事故機のものと思われる破片に関する記事を見つけました。

苫小牧民報、2015年(平成27年)7月13日(月曜日)の紙面(資料協力:苫小牧市立中央図書館)には、「米兵ラスムッセンの足跡たどる、苫小牧空襲/日本人との交流」とした記事があり、「2005年、樽前で発見された飛行機の風防と見られるアクリル片」という写真が掲載されていました。手のひらより大きいと思われる、割れて三角形になった透明な薄板状のものです。確かに風防(キャノピー)の破片のように思います。

2015年は戦後70年という節目の年で各紙が特集を組んだため、この事故に関する情報も集まりやすかったのかもしれません。事故に着目して取材された記者の皆さまのご尽力に感謝いたします。

私がこの事故を知るきっかけになった、航空情報(1981.11) NO.434、「続・第2次大戦航空史話(9) 樽前山麓に生きて ラスムッセンの生還」秦郁彦著、には次の記述がありました。

— 引用ここから —

樽前山頂上近くに放置されていた中尉の遺骸が千歳の米軍と地元警察の手で収容されたのは、昭和21年の春だった。富士館(当時、苫小牧で最上等の旅館)でお通夜が営まれ、苫小牧市長が弔辞を読んだ。しかし機体の残骸は残り、翌年夏その地点へ足を運んだ白老営林署のE氏は「飛行機はバラバラで部品はサビだらけ、小さな機関銃が2つあって機体の近くに大きな穴があった」と証言している。

— 引用ここまで —

山上から望む事故現場

事故から73年となる日の3日前、2018年7月11日は苫小牧で今年の最高気温27.9℃を記録しました。風はやや強めでしたが午前中から雲ひとつない空で、イーグルストン中尉の慰霊登山とするには申し訳ないほどの好天でした。

)国土地理院の地理院地図に、登りのGPS経路を赤で、樹林帯の上限付近を薄緑色で書き加えた。

樽前山の7合目駐車場から歩き始めて外輪山に到達し、頂上に向かう東山分岐を右に折れずにそのまま直進し、事故現場を見下ろすことができる標高920メートルほどのピークに進みました。

)樽前山の外輪山から見た墜落事故現場付近。2018年7月11日、やぶ悟空撮影

地図の矢印方向(南東)を撮影したものです。ラスムッセンの回想によれば、墜落事故現場は樹林帯よりやや標高の高い位置、写真では手前の明るい緑色の部分と思われます。

このとき、千歳基地のF-15が2機、ヘルダイバーを迎撃するかのように太平洋へと飛行していきました。

「4.事故現場の状況」ここまで。

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コメント

  1. イカゴロ より:

    吸い込まれるように目次から一気に読み上げました。すごい記事ですネ。”次へ(まもなく公表)”を心待ちにしています。

    • やぶ悟空 やぶ悟空 より:

      ありがとうございます。下調べなどに時間がかかり、公表のタイミングを図っていました。私自身の興味でまとめたので、面白く読んでもらえるのか、心配しています。