樽前山で起きた航空事故 6

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6.事故の分析

これまで集めた情報から、この航空事故をできるだけ客観的に、5W1Hで分析してみます。(冒頭の写真は、父島付近を飛行するSB2Cと空母ヨークタウン、Public Domain)

事故発生日時(When)

シャングリラの作戦報告書には、7月14日は計5回の出撃があったことが記録されていました。3回目の出撃時刻は07:00とされ、コルセア10機およびヘルダイバー10機の計20機が離陸しました。この出撃で「ヘルダイバー1機がパイロットと搭乗員とともに失われた」という記載があることから、当該機は第3波の攻撃に加わっていたことは間違いありません。

一方、ラスムッセンの本「CC in WW2」によれば、「シャングリラから離陸したのは朝の8時ごろだった。飛行時間はおよそ1時間か 1時間15分なので、山に衝突したのは9時から10時の間だろう。」と記述されています。当該機の離陸順が何番目だったか定かではありませんが、空母からコルセアとヘルダイバー計20機が順次離陸するには、3分間隔だったとしても最後の1機が発艦するまで1時間かかる計算です。5分間隔なら1時間40分にもなりますから、ラスムッセンの言う「8時」は妥当なところでしょう。

空母シャングリラの位置から事故現場の樽前山までは、直線距離で約150海里(約280km)と推算されます。ヘルダイバーの巡航速度(137ノット)、高度5,000フィートで北風14~22ノットという観測値から、仮に右30°から20ノットの迎え風だったとすると対地速度は約120ノットとなり、苫小牧までの所要時間は約1時間15分ほどになります。攻撃に要した時間が10~15分程度だったとすると、墜落時刻は朝9時半ごろと考えられそうです。ラスムッセンは後席のAircrewmanとしてナビゲーター(航空士)業務も行っており、的確な推定ができたようです。

  • 事故発生日時:1945年(昭和20年) 714日、0930分ごろ

事故発生場所(Where)

ラスムッセンの本「CC in WW2」によれば、イーグルストンが空間識失調に陥った状態で飛行したとき、「高度は2,000~2,500フィート(およそ700m)」と述べています。また、墜落後に意識を取り戻したとき「森林限界より高い場所にいた」、「残骸から約200ヤード(180m)下ると(略)低木が並ぶ小さな茂みに入った」ことなどから、墜落現場の標高は森林限界より少し上だったようです。樽前山の南~東側の森林限界は、標高600~700メートル付近です。

さらに、2005年10月に見つかった事故機のものと思われる三角形の金属片があった場所から、墜落場所は「標高700メートル付近の南東斜面」と特定できそうです。

  • 事故発生場所: 樽前山の標高700メートル付近の南東斜面
    (北緯42度41分、東経141度24分付近)

搭乗員(Who)

すでに述べたとおりで、あらためて分析の必要はないでしょう。前席の操縦士はイーグルストン中尉で、事故の際に機体から投げ出されて即死しました。後席にはAircrewman(射手および無線士:gunner-radio operator)としてラスムッセン(23歳)が搭乗し、重傷を負いながらも生還しました。

  • ハワード・ユージン・イーグルストン・ジュニア(Howard Eugene Eagleston, Jr.)中尉
  • オリバー・ブラード・ラスムッセン(Oliver Bullard Rasmussen

事故に至る状況(What, How)

これまで見てきたことから、何がどのように起きたのかを推定してみます。

米空母シャングリラは、本州北部および北海道攻撃のため、青森県八戸の東方、北海道襟裳岬の南の海上付近にいました。この空母の艦載機にはSB2C急降下爆撃機ヘルダイバーも含まれ、その1機には操縦士として前席にイーグルストン中尉が、射手及び無線士として後席にラスムッセンが搭乗していました。1945年(昭和20年) 7月14日、濃霧の中、朝8時ごろ発鑑したイーグルストン中尉とラスムッセンは、神風特攻隊のある千歳飛行場に向けて北北西に進路をとりました。

当該機が北海道に到達し、室蘭~苫小牧間を走行中の列車を攻撃していたとき、対空砲攻撃を避けるため雲中に入りました。その際、操縦していたイーグルストン中尉は一時的に空間識失調に陥り、機の姿勢や方位を見失いました。すぐに回復したものの、雲中で進路が分からないまま速度140ノット(約260km/h)、高度2,0002,500フィート(およそ700m)で飛行していました。

イーグルストン中尉は、進路を海上に向けようと方向転換したとき、山に接近したことに気付いて急上昇させましたが、左主翼端が山腹に接触しました。機体は左に激しくヨー(yaw)回転(横回転)しながら、標高約700メートル付近の樽前山南東斜面に墜落しました。

)推定事故現場。北海道新聞(2015年4月8日)掲載写真「苫小牧西部から見た樽前山の南側斜面。ラスムッセンの搭乗機は「×」印付近に墜落したと見られる」を参考に作成

列車を攻撃する際に「線路に沿って降下し列車の正面に向かい合った」ことから、当該機はほぼ東西(西南西-東北東)に走る線路に沿って飛行したと考えられます。攻撃後、上昇して対空砲火を避けるため雲中に入り、姿勢や方位を変えたので飛行経路は不明ですが、一般的には南の海側に出るよう操作すると考えられます。しかし、操縦士のイーグルストンが空間識失調に陥ったため、その間の飛行航跡は推定できません。その後、山に衝突する前に方向転換しましたが、地形を考慮すると右旋回だったと考えたいところです。「速度が落ち始めた。“失速するぞ!”と叫んだ」ことから、急上昇姿勢で上昇し減速し始めたのをラスムッセンが体感できたものと考えられます。そうすると、操縦士のイーグルストン中尉が山に接近したことに気付いてから衝突するまでには、わずかな時間(数秒)があったと考えられ、旋回のために大きなバンクをとった状態ではなく、水平に近い姿勢で左主翼端が接触したように思われます。

念のため、速度140ノットでの旋回半径を計算しておきます。「操縦桿を乱暴に操作して方向転換」したことから、バンク角30°未満ではなかったと思いますが…。

・30°バンク(1.2 G)で、旋回半径900メートルほど
・45°バンク(1.4 G)で、旋回半径500メートルほど
・60°バンク(2.0 G)で、旋回半径300メートルほど

線路から墜落現場までは最短距離でも約6海里(約11km)あります。速度140ノットで6海里を飛行するには約2分半を要しますから、当該機はずいぶん山側に入り込んでしまったことになります。

なぜ事故に?(Why)

この事故がなぜ起きたのかを考えると、直接の要因は「操縦士が空間識失調に陥ったこと」と言えるでしょう。「CC in WW2」の本には、こんな記述もありますので、参考情報として追記しておきます。

— 翻訳ここから —

イーグルストンは尊敬に値する男で最高のパイロットだが、ややバーティゴ(空間識失調)に陥りやすい傾向があった。雲の中や暗闇で姿勢や方向感覚を失うことだ。私(ラスムッセン)が平衡を失うことは全くなかった。インディアンの血をひいているからだ。だから私は冷静を保って彼をバックアップし、バーティゴにならないよう話しかけていた。私たちはいいチームだった。

— 翻訳 ここまで —

空間識失調に陥った状況では、たとえ樽前山の標高を把握していたとしても、それ以上の高度に飛行機を上昇させることも、機首方位を変えることもできません。イーグルストン中尉が空間識失調から回復後、雲中で機首を海に向けようとしましたが、間に合わなかったものと考えられます。

低高度での空間識失調は、恐ろしいものですね。

※ CC in WW2 : Chippewa Chief in World War II

「6.事故の分析」ここまで。

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