三沢(5)、太平洋横断 ~離陸~

太平洋を無着陸で横断した最初の飛行機がミス・ビードル号だったことは、何となく聞き覚えがあります。その出発地であった淋代海岸に、三沢航空科学館を訪れる前に立ち寄ってみました。

出発の地

▲淋代海岸のミス・ビードル号のレプリカと太平洋を望む展望台

平日の午前9時でしたから、付近に誰も見当たらないのは当然かもしれません。「さびしろ」という地名の由来は知りませんが、薄曇りの空だったこともあって淋しげな響きは否めません。

▲淋代海岸のミス・ビードル号のレプリカ

太平洋を無着陸横断するには、燃料をたっぷり搭載しなければなりません。つまり、離陸重量がかなり重くなります。すると、浮揚するまでの滑走距離もかなり長くなるはずですが、この柔らかな砂浜で大丈夫でしょうか? 波打ちぎわの湿って締まったところを使えばゴミを取り除く程度で済むかもしれませんが、途中に海へ流れ込む川などの障害物はなかったのでしょうか? あれこれ心配が頭をよぎります。

三沢航空科学館へ

展示室に入ってまっ先に表われたのがミス・ビードル号のレプリカです。淋代海岸の大雑把な造形と違って、こちらは実機のように綺麗に仕上げられています。

▲三沢航空科学館のミス・ビードル号レプリカ

子持ちシシャモのようにお腹が膨らんで不恰好に見えますが、胴体下部にも燃料タンクを増設したためです。ミス・ビードル号は、当初、世界一周早回り記録を目指して米国から飛び立ったので、出発前に燃料タンクを増設するなどの改造を行っていたようです。途中、早回り記録の達成が絶望的になったためそれを諦め、日本からの太平洋無着陸横断に切り替えたのだそうです。

▲搭載した燃料量 (三沢航空科学館)

ドラム缶18本が並べられていました。一缶200リットルとして3,600リットル分です。日本に到着してからも燃料タンクを増設する改造を行って、これだけの量を搭載できるようにしたようです。

▲三沢航空科学館による説明書き

  • 400 ガロン(約1,510 リットル):胴体メインタンク
  • 220 ガロン(約 830 リットル):翼内タンク
  • 135 ガロン(約 510 リットル):胴体下部タンク
  •   60 ガロン(約 230 リットル):機首下部タンク
  • 115 ガロン(約 440 リットル):機内缶入り

> 計 930 ガロン(約3,520 リットル)

 ※ ガロン(U.S.Gallon)を基準に換算した。写真の数値に一部誤りあり

燃料をこれだけ搭載すると、どれぐらいの重量になるのでしょう? ガソリンの比重を0.75とすると、燃料だけで2,640kgです。機体の空虚重量が約1,200kgなので、燃料、乗員2名と飲料水・食料などを含めると離陸重量は4,000kg超だったと思います。翼長14メートルほどの単発機で、よくぞ離陸できたものです。

現代の飛行機で、翼面積が同じくらいの機体と比較してみます。ビーチクラフト・クイーンエア(A65)が見つかりました。( )内はミス・ビードル号です。

  • 機 種:   クイーンエア (ミス・ビードル号)
  • 翼 長:   約14メートル (約14メートル)
  • 翼面積:   25.72平方メートル (25.4平方メートル)
  • エンジン:  340馬力 ×2 (420馬力 ×1
  • 最大離陸重量:約3,500kg ( ? )

最大離陸重量3.5トンのクイーンエアより重い4トン以上の機体を、ミス・ビードル号の420馬力エンジン1基で浮揚させなければなりません。揚力は、単純にいうと翼面積が同じなら速度の2乗に比例します。スピードを上げるには、かなり長い距離を滑走する必要がありそうです。この滑走距離を少しでも短くするため、ある方法がとられました。

米国に向けて離陸

▲離陸前のミス・ビードル号 (出典:三沢市勢要覧=2009年3月発行=ダイジェスト版)

滑走開始地点を下り斜面にして整地し、はじめの加速を容易にして滑走距離を節約したようです。当時の東京朝日新聞の記事によると、何度もバウンドし再接地しながらも60秒かけて1,800メートルを地上滑走した後、ようやく浮揚したそうです。

▲浮揚直後のミス・ビードル号 (出典:三沢市勢要覧=2009年3月発行=ダイジェスト版)

浮揚した後は安全高度を確保するまでは直進です。同記事によると海岸線に沿って約5キロメートル直線上昇を続け、その後に右旋回して淋代海岸上空を高度約200メートルで通過したそうです。離陸後の旋回は、かなり慎重に行われたに違いありません。たとえば速度80ノットでバンク角を5度にすると、旋回半径は2km程度となります。

離陸日時は、日本時間で1931(昭和6)年104日、午前701分とされています。計算しやすいよう、07:00ちょうどに合わせて離陸滑走を開始したのかもしれませんね。

▲新聞記事から推測した離陸飛行経路 (東京朝日新聞の記事は三沢市史-下巻から)

現在の地理院地図に推定航跡を書き加えました(当時はまだ三沢飛行場がありません)襟裳岬の南西海上を812分に、落石岬(根室の手前)上空を932分に通過したのが目撃されたそうですから、対地速度は100ノット(約185km/h)程度だったようです。ミス・ビードル号の巡航速度は200km/h以上ですが、重い機体を徐々に上昇させるフェーズですから、こんなものでしょう。天候は、根室から千島一帯にかけて南寄りの微風快晴だったそうです。

航空科学館スタッフの説明で興味深かったのは、空気抵抗を低減(重量も軽減)するための脚を落下させる仕組みです。どこまで忠実なのか分かりませんが、レプリカにも再現されていました。機内からワイヤーを引くと、その先に付いたピンが抜けて車輪やストラットなどが外れるようになっています。これは立川飛行場で改造されたのだそうです。

▲車輪やストラットにつながるワイヤー(左側) (三沢航空科学館)

ワイヤーの取り廻しに苦労の跡が見られます。

▲車輪落下用のピンとワイヤー(右側) (三沢航空科学館)

▲ダンパーやストラット落下用のピンとワイヤー(右側) (三沢航空科学館)

▲ワイヤーの機内引き込み (三沢航空科学館)

無事に離陸して飛行が安定したら車輪や脚まわりをすぐに外して落下させたのかと思ったら、そうではなかったようです。北海道を離れるまではエンジンや機体の調子を見ながらそのまま飛行し、もう引き返すことはないと判断してから切り離し作業にかかったのだそうです。とても懸命な判断ですね。

緻密な計画で抜かりのない準備を行った搭乗員は、

  • Clyde Edward Pangborn(クライド・エドワード・パンボーン)
  • Hugh Herndon, Jr.(ヒュー・ハーンドン・ジュニア)

の二人です。こうして日本を離れ、7400km先の北米を目指すミス・ビードル号の話は、次回「三沢(6)、太平洋横断 ~米国到着~」に続きます。

※ 特記のない写真はいずれも、2019年3月15~16日、やぶ悟空撮影

コメント

  1. アバター イカゴロ より:

    とても興味深い記事でした。函館から三沢は近いので、自分もいつの日か訪ねてみたいと思います。その昔、記憶は定かではありませんが調布飛行場の格納庫で太平洋をフェリーしてきた双発機を見たことがあります。機内は全ての座席を取り外し、キャビン一杯にドラム缶を何本か連ねていたような気がします。この記事を読み、昔も今も燃料事情は同じと思いました。

    • やぶ悟空 やぶ悟空 より:

      5年ほど前、サイパンから韓国にフェリー中の単発機が鹿児島県に不時着・大破したことがありました。増槽タンクの切り替えが原因ですが、小さい飛行機での長距離飛行は周到な準備と細心の注意が欠かせないようです。