三沢(6)、太平洋横断 ~米国到着~

最初の大きな難関だった重い機体での離陸を成し遂げ、淋代海岸を離れて2時間半後に根室の上空を通過したミス・ビードル号は、その後どんな経路をたどったのでしょうか?

大圏コース

限られた燃料で飛行するには、天候が許せば最短時間つまり最短距離を選びたいですね。おのずと大圏コースで進むことを目指したはずです。

▲目指した飛行コース(Google Earthを使用して水色追記)

グーグル・アースで淋代(現在の三沢市)から到着地まで大圏コースを描いて見ました。このコースが良いのは最短距離ということだけではなく、途中に島々が散在していることです。飛行経路の確認がしやすくなるでしょう。不時着しなければならなくなった場合は陸地までの距離は生死にかかわります。ソ連領空を避けつつも陸地から大きく離れない、そんなコースを飛んだのでしょう。その時代にはGPSもないので飛行航跡記録を残せず残念です。

三沢(5)、太平洋横断 ~離陸~ で触れたように、北海道を離れた後、どの辺りか不明ですが車輪や脚まわりを外す作業を行いました。そのとき脚ストラットの一部がうまく落下せず、ストラットが付いたまま飛行を継続したのだそうです。

淋代海岸からの距離:

  • 根室まで約500 km(所要時間は2時間半)
  • カムチャッカ半島の南海上まで、約2,000 km
  • アラスカのアリューシャン列島まで、約4,500 km
  • カナダ・クイーンシャーロット諸島まで、約6,500 km
  • 米国シアトルまで、約7,200 km

(▲いずれもGoogleマップによる距離測定)

この距離に相当する飛行を例えてみましょう。稚内空港を離陸し、ダイレクトに那覇空港の上空まで飛行してそのまま折り返します。同じ経路で稚内空港上空まで戻ったら、着陸せずに再び那覇空港に向かって飛行し着陸する、といううんざりするような距離です。この場合は約7,400km飛行することになります。

当時の空のチャレンジャーは、陸地を確認するために低い高度で飛ぶことが多かったようですが、ミス・ビードル号を操った二人の選択は違っていました。高く飛ぶことです。そのおかげで、うっかり燃料タンクの切り替えに失敗してエンジンが停止してしまったことがあったそうですが、降下しながらエンジンを再始動する時間的余裕があったそうです。

西から東へと日付変更線を越えると前の日に戻るため、日本を離陸した10月4日から40時間以上飛行したにもかかわらず、北米大陸に接近したのは10月5日早朝のことでした。脚ストラットが付いたまま着陸することは、とても危険です。車輪や脚まわりを捨てた時点で胴体着陸を計画していたわけですから、胴体下部に無用な障害物を残してはなりません。太平洋横断飛行の成功が目前に迫ってきたとき、飛行中に身を乗り出して脚ストラットを手作業で外し落下させたそうです。そうしてクリーンな胴体になって最終目的地の米国を目指しました。

飛行機

ミス・ビードル号の登録記号は、当時の写真などからも「NR796W」であることが分かっています。米国のベランカ(Bellanca)社製の飛行機ということも確かですが、機種はいったい何だったのでしょうか?

青森県立三沢航空科学館のwebサイトには、ミス・ビードル号の説明に「BELLANCA CH300」と記載されています。一方、淋代海岸にあるミス・ビードル号のレプリカ前に三沢市が建てた看板には、型番はありませんが「ベランカ・スカイロケット」と説明されています。

日本語ウィキペディア「ミス・ビードル号」では「1931年型のベランカ スカイロケット J-300型の長距離改造型」とされていますが、英語のWikipedia「Miss Veedol」では「1931 Bellanca CH-400 or Bellanca J-300 Long-Distance Special」とあり、わずかながら違いが見られます。ほかにもweb上には「CH-300 J」と説明したサイトもあり、これは「J-300」と同じなのでしょうか? 当時、航空行政を担当していた米国商務省の航空部門(Aeronautics Branch)では「NR796W」が「CH400 Skyrocket」として登録されていた、という記述も見つかりました。

このようにさまざまだと正しい型式や名称が何なのか、ますます気になります。そこで、信頼できそうなスミスソニアン航空宇宙博物館で検索してみました。その結果は次のようなものです。

  • Bellanca Skyrocket CH-400」という型式はある
  • 「Bellanca Skyrocket CH-300」は存在しない。CH-300はSkyrocketではなく、「Bellanca Pacemaker CH-300」のことである
  • 「Bellanca Skyrocket J-300」というのは無いが、「Bellanca J-300」という型式は存在する

そして、

  • Bellanca Skyrocket CH-400 “Miss Veedol”」という機体があった!

その他web上のさまざまな詳細な記述などと併せて考えると、ミス・ビードル号は「ベランカ社スカイロケットCH-400」だろうと思います(あくまで私見です)。県立三沢航空科学館がどのような根拠で「CH-300」と判断したのかは分かりませんが、ベースの機体に燃料タンクを増設するなど長距離対応にし、主脚まわりを改造して太平洋横断を成し遂げたということのようです。

スカイロケットCH-400は32機製造されたようで、ミス・ビードル号は1931年製の製造番号「3004」だそうです。飛行機に搭乗した二人の写真に「(BE)LLANCA 3004」と写っていました。これがシリアルナンバー(製造番号)なんですね。


ついでですが、こんな興味深い情報も出てきたので、一応紹介しておきます。

Bellanca J-2 (NR782W, 1931 Endurance Flight) :
1931年10月のミス・ビードル号(NR796W)による太平洋無着陸横断の成功に先立つ同年5月に、無給油滞空飛行84時間3314秒の世界記録を樹立した機体です。「J-2」というのは「Pacemaker CH-200」のことで、NR782Wはディーゼルエンジンを搭載した飛行機「CH-200 Special」だそうです。Bellanca、恐るべし!


話がそれましたが、ミス・ビードル号がベランカ・スカイロケットCH-400だとすると、スペックは次のとおりです。

  • 翼長: 14.1 m
  • 長さ: 8.5 m
  • 高さ: 2.5 m
  • 翼面積: 25.4 平方メートル
  • 重さ: 1,176 kg(空虚重量)
  • 巡航速度: 209 km/h
  • プラット・アンド・ホイットニー(P&W)社のWasp Cという星型9気筒空冷エンジン(420馬力)を搭載

(▲出展:Wikipedia “Bellanca CH-400 Skyrocket”

(▲出展:Khee-Kha Art Products、配置を変更)

アメリカに到着

ハワイとアラスカを除くと、日本に最も近い米国は北西部にあるワシントン州です。「イチロー」で有名な太平洋側の大都市、シアトルはここ。ミス・ビードル号に搭乗した二人が目指したのも最短距離のシアトルでした。

当時、太平洋側北西部の天候が芳しくなくシアトルは雲に覆われていたため、目的地を内陸のアイダホ州ボイシ(Boise)に変更しました。それには飛行距離の記録も目指すという意図があったようです。

▲目的地の変更(実際の飛行経路ではない)(Googleマップに加筆)

Wikipedia “Miss Veedol”によると、その後もスポーカン(Spokane)、パスコ(Pasco)と行き先の変更を検討しましたが、最終的に操縦士パンボーンの故郷に近く土地勘のあったワシントン州ワナッチー(Wenatchee)への着陸を決断したのです。シアトル>ボイシ>スポーカン>パスコ>ワナッチーの上空まで飛行すると、1,500km近い距離になってしまいます。ある情報によるとシアトル上空通過からワナッチー着陸まで4時間ほど要したそうなので、巡航速度200km/hほどで飛行したとすると飛行距離はおよそ800kmです。つまり、無線で入手した情報や自らの経験などから早めに判断しコース変更したのだろうと思います。燃料に余裕があると、不慮の不具合への対応だけでなく目的地の変更などの選択肢を増やすこともできます。機材の信頼性が向上した現代のフライトでも大事なことですね。

胴体着陸した状況の写真は、こちら(General Aviation News)などで見ることができます。日本を離陸する前に撮影されたものと比べて、とても綺麗な写真です。また、機体も損傷が少なく綺麗です。プロペラ1枚が後ろに曲がり、エンジンカウルと胴体下部が変形した程度のようで、非常に上手に着陸したんですね。

飛行時間は41時間少々ですが、web上にはいろいろ異なる時刻と所要時間が出ています。現在では米国の10月はサマータイム期間中なのでそれが誤解を生んでいる?と疑われる記述があったり、秒単位まで記載しているサイトもあります。誰が秒まで計測したの? どれが正しいのか判断しかねるので、私は「三沢市史-下巻」に掲載されている「東京朝日新聞」の記事の時刻を採用することにし、そこから飛行時間を計算しました。

  • 離陸(淋代海岸):19311040701JST(UTC:1931-10-3 22:01
  • 着陸(Wenatchee):19311050711PST(UTC:1931-10-5 15:11
  • 飛行時間:41時間10
    • JST :Japan Standard Time、日本標準時
    • PST :Pacific Standard Time、太平洋標準時
    • UTC :Coordinated Universal Time、協定世界時

飛行した距離についてはもっと曖昧です。ソ連領を避けたりするため、きっちり大圏コースを飛んだわけではないでしょうから、Googleマップで計測した淋代海岸からWenatcheeまで約7,340kmより長い距離だったことは疑いありません。さらに、目的地の変更で余分な距離を飛行しています。それも考慮した上でざっくりと平均速度を計算すると、対地速度はおよそ200km/h超となりました。ベランカ・スカイロケットCH-400の巡航速度は209km/hですから、ちょうどスペックどおり程度の速度で飛行したことになりそうです。

到着の地

▲現在のWenatcheeマップ(“© OpenStreetMap contributors”)

着陸した場所は、Wenatcheeの「Fancher Field」という小高い場所、Fancher Field Airportです(すでにこの飛行場はなく、住宅地になっています)。現在、その南東には「Pangborn Memorial Airport」という飛行場があります。太平洋無着陸横断飛行を成し遂げた二人のうち、操縦教官だったクライド・パンボーン(Clyde Pangborn)から名付けたんですね(もう一人のHugh Herndon Jr.は副操縦士でした)。この Pangborn Memorial Airport (KEAT)は、シアトル・タコマ国際空港の東、直線距離160kmに位置しています。滑走路12/30は長さ2,000m以上(幅45m)ありますがタワーはなくて定期便も少なく、飛行訓練を受けるには良さそうです。

三沢を訪れてミス・ビードル号(レプリカ)を見たのをきっかけに、気持ちだけは太平洋を横断してシアトルも飛び越え、Wenatcheeまで行ってしまいました。コロンビア川により深く削られた地形を眺めながら飛ぶなんて、きっと気持ちイイに違いありません。ココ (Flying with Miss Veedol)にある「We are WenatcheePart I, Part II and Part III の映像を見て、この小さな街が気に入ってしまいました。行ってみたい、そして飛んでみたいなぁ。

▲着陸地付近(Googleマップに黄色加筆)