FA-200、エアロスバル

神戸の青少年科学館には黄色いエアロスバルが展示されています。登録記号はJA3478、富士重工のFA-200という4人乗り単発小型機です。

神戸のFA-200

バンドー化学株式会社とのネーミングライツ契約で「バンドー神戸青少年科学館」となっている青少年科学館、展示室がたくさんあってさまざまな学習ができそうです。ただ、航空の分野はほとんど見当たりません。

そんな中、現在は「株式会社SUBARU」と社名変更された富士重工業株式会社が設計・製造した軽飛行機FA-200-160(愛称:エアロスバル)が吊り下げ展示されていました。

子供のころ、キャノピーがスライドして乗り降りするのがすごくカッコイイと思っていました。でも、何かの拍子で転覆してしまうと脱出が難しくなります。2012年11月25日、薩摩硫黄島飛行場で発生したFA-200の滑走路逸脱(前転し背面状態で停止)では、搭乗していた4名が一時的に閉じ込められたそうです。

脚は固定式、主翼は直線・直角でシンプルなフラップとエルロンです。耐空類別が「曲技A」で曲技飛行にも適すると認められた飛行機です。

吊られた機体の下には操縦席とモニターがあります。ここで操縦操作すると、機体各部の舵面が動くそうですが…このとき動いたのはエルロンだけのようでした。

▲飛行の原理を学ぶ風洞と説明パネル

操縦体験

昔むかし学生のころ、あるトコロでFA-200-180を使っていまして、教官の訓練飛行に同乗させていただいたことがありました。O空港からN空港の往復です。「エンジン止めたり、失速させたりするよ」と言われ、船酔いしやすい私は一瞬迷いましたが、この機会を逃しては後悔すると思い「ダイジョブです」と返事していました。

2名の教官と私の計3名で、行きと帰りで操縦する教官が交代します。前席に乗せていただいた私、初めての小型機搭乗です。しばらくして課目が始まりました。私の身体はガチガチに緊張し、手に背中に冷や汗をかきながら耐えたマヌーバだったような気がします。出発前に言われたとおり、エンジンを止め滑空しながらの再始動、これはどうってことはありません。機首を大きく上げ失速させて回復させる訓練も体験しました。「大丈夫?」という教官の心配に、蒼ざめ引きつった笑顔で答えたハズです。深呼吸を繰り返して胃袋のムカムカを収めました。

普通に飛んでいると非常に快適です。たまに気流が乱れ、急な揺れに驚くことはありましたが…。「操縦してみる?」と言われ大喜び! 実はひそかに期待していたのです。まずは水平直線飛行から。教官は、コイツに操縦を持たせて危険がないかを見るため、基本の知識や操作量が大きすぎないかなど、様子見したのでしょう。「なかなか上手いね」と定番の褒め言葉のあと、左右に水平旋回してみよう、となりました。

このころ私は、自動車と同じようにハンドル(操縦輪)を回せば旋回するというぐらいの無知で、ラダーペダルの使い方もよく分かっていませんでした。右と左でかなり異なる旋回操作が必要なことなど知る由もありません。ただ、バンク角を一定にするため「あて舵」がいることは知っていました。

そんな素人が旋回するとどうなるでしょう? はい、旋回しながら機首が下がって「錐揉みに入っちゃうよ」と教官の手が出たり、旋回中に高度が上がって速度が低下したり…となります。あれぇ、上手くいかないナァ…と簡単そうに見えていた操縦基本操作の難しさをこのとき初めて体験したのでした。

こんな操縦体験でも「航空機操縦練習許可書」がないと、ホントはやって(やらせて)はいけないのですが、当時の私はそんなこともよく分かっていませんでした。(知らなかったからといって許されるわけではないのですが…)

オランダの事故

FA-200は海外にも輸出されており、その中にオランダのFA-200-180AO(登録記号:PH-JEJ)機がありました。2007年10月19日、そのエアロスバルはレリスタット(Lelystad, EHLE)飛行場の近くでセスナ172R(登録記号:PH-BVE)と空中衝突したのです。

セスナ機は墜落し、搭乗していた2名が死亡しました。エアロスバルは機体が損傷しながらも不時着して搭乗者2名は無事でした。

▲事故前のFA-200-180AOPH-JEJ事故調査報告書より)

▲不時着したFA-200-180AOPH-JEJ(事故調査報告書より)

前脚取り付け部の後方が損傷しています。左主脚の取り付け部付近にセスナ機のエルロンが刺さっています。エルロンを失ったセスナ機は飛行を続けることができません。

▲不時着したFA-200-180AOPH-JEJ(事故調査報告書より)

エアロスバルの左主翼付け根付近が、セスナ機の主翼エルロン付近に後方から衝突したのではないかと思います

オランダの事故調査機関DSB (Dutch Safety Board) が事故調査を行い報告書を公表しましたが英語版はなく、オランダ語のため読めません。大事そうなところだけweb翻訳してみましたが手間と時間がかかります。数行に要約したサイトがありましたので、こちらをご覧ください(英語です)。

おわりに

戦後初の国産軽飛行機FA-200が試験飛行に成功したのは1965年(昭和40年)のこと。曲技A類という機体強度を備えた高性能軽飛行機として、国内のみならず世界中で今でも愛用しているパイロットがいるそうです。航空機の製造者は、たくさん造って売るだけでなく、安全運航を支えるための改修や安全情報の提供を行わなければならず、それは製造を終了した後でも続きます。SUBARUでは、こちらFA-200のサポートを維持しています。

世界中の空を飛行するFA-200の最後の1機がなくなるまで、設計製造者としての責任があるのです。

※ 写真はすべて、2019年4月19日、やぶ悟空撮影